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正法寺(しょうぼうじ)は、愛知県豊川市赤坂町にある真宗大谷派の寺院である。山号は太子山。院号は上宮院。本尊は阿弥陀如来。 == 歴史 == 聖徳太子が三河地域を訪れた際、赤坂上宮という所に太子を祀る堂宇(太子堂)を建てたことが創立の切っ掛けであるとされる。嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)に、万巻上人が箱根神社再建の勅許を得るため上京したが、その帰途に病を得て太子堂にて療養し、弘仁7年(816年)10月2日に死去した。上人の弟子らは、太子堂を改築して上人を開基とした〔『音羽町誌』、569-570頁。〕。 鎌倉時代初期には、源範頼の息子範円(のりかど、はんえん)が太子堂に居住した。貞永元年(1232年)9月1日、浄土真宗の開祖親鸞が関東から帰京する際、聖徳太子像を拝むため太子堂を訪れた。このとき範円は親鸞に教化されて弟子となり、名を了信坊に、寺を太子山上宮院正法寺に改め、天台宗から浄土真宗に改宗した〔『音羽町誌』、570頁。〕。 宝徳年間(1449年 - 1451年)に現在地に移転したが、明応年間(1492年 - 1500年)に本堂が焼失した。現在残っている本堂は、万延元年(1860年)に改築されたものである〔。 明治23年(1890年)4月3日、明治天皇が当寺の宝物(消息、関白草紙、木蘭地袈裟、網代団扇の4点)を天覧した〔『音羽町誌』、571頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正法寺 (豊川市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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